寺院沿革

平安時代の末期、文治年間(1185~1190)に宗祖法然上人によって開基され、その後弟子湛定和尚が継がれたと伝えられています。

建永2年(1207)、法然上人が讃岐へ配流されるとき、鳥羽より淀川を下って神崎の港に停泊されました。その折法話を聞いて自身の罪業の深さを恥じ、神崎川に身を投じた5人の遊女を弔うため、ゆりあげ橋の橋杭をもって自ら刻まれたと伝えられている祖師像をお祀りしています。

平素は秘仏につき公開していませんが、高さ42,5cmの小像で、写真をお前立としてご給仕させて頂いています。

建永2年12月8日に流罪の勅免が下され摂津国勝尾寺に向かわれます。そのときの様子が「摂津名所図会」下巻に「法然上人讃岐より帰洛のとき、ここ(西明寺)に一夜逗留し給ひ、善導及び我肖像を彫刻したまひ、ここに遺し玉ふ。今当寺の本尊とす」と記されています。

また元禄年間より伝わる川邊西国観音霊場の第21番札所として次の歌が詠まれています。

ありがたや 今は迷いの雲晴れて
かげ明らけき ふだらくの月

現在の本堂は昭和59年に再建されたものです。

尚、伝えられるところの善導大師像・遊女の遺髪・佛足跡等は昭和初期までに散逸してしまいました。

門前に大坂万人講の寄進に依る石碑あり(寛保元年1741)。碑面には「圓光大師舩中御自作二祖尊像」と刻まれています。

参考動画

「公式チャンネル浄土宗」で、当寺が建立された由来が、現在の本堂や境内の風景とともに紹介されています。ぜひご覧ください。

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